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〈全通研〜手話という道具〉

  • kofujimoto
  • 2017年7月19日
  • 読了時間: 3分

アメリカに行って現地の方にHello、フランスに行ってBonjourと言うだけで現地の人と非常に仲良くなると言われる。

実際に中国語検定4級のレベルでも中国人の留学生に話しかければとても盛り上がった。

外国人の方にコニチハと言われるとうれしくなることもおなじだ。

下手な発音であっても、自分たちについて何かしら知ってるんだという安心感やうれしさから話は弾む。

障がい者に関わっていく以上、障がい者とコミニュケーションをとりたい。

そういう思いから手話を勉強したいと思った。

たまごの会(多職種連携サークル)で企画された全通研を見学に行ったのはそういう理由からだ。

全通研、正式名称は全国手話通訳問題研究会。

その長崎支部の集まりに参加した。

手話サークルなのにほとんど健聴者だということに非常に驚いた。

きいてはいたものの、ここまで健聴者ばかりとは驚いた。

今回の議題は、ろうあ者から見る平和学習だ。

ろうあ者とは耳が聞こえない・聞こえにくい人たちの総称であり、聴覚障がいのある方のことである。

ろうあ者が体験した被爆を元に長崎の原爆についてもう一度考えてみようというテーマだった。

音が聞こえないろうあ者が原爆に直面するとき、音に気付かないうちに光と爆風に見舞われる。

その恐怖はすさまじいだろうなと思っていた。

しかし、耳が聞こえないことの辛さはそれだけではない。

2003年8月9日58回目の原爆の日、毎年行われる長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で山崎栄子さんがスピーチを行なった。

そのスピーチが手話で行われたことでろうあ者を含め多くの人が心を打たれた。

その手話の身振り手振りを見るだけで、手話がわからずとも山崎さんの感じた怖さや辛さがありありと伝わる。

インターネットで映像がないことが残念だが、講演の全文があったので貼っておく。

http://www.christiantoday.co.jp/articles/8635/20030809/news.htm

映像を見る機会があれば、是非見てほしいと思った。

長きに渡りろうあ者が式典で語ることが出来ないという辛い思いを晴らしてくれた山崎さんの力強い手話に感じるものがあると思う。

山崎さんは、親の声すら聞こえず姉の死を泣く母の様子から死を悟ったという。

山崎さんは喋ることが出来なかったため、姉の名前すら呼ぶことが出来なかったそうだ。

18歳という華々しい青春真っ只中にそのような辛い体験をしたらどれだけ心に傷が残るだろうか…

通りすがりの焼けただれた人たちのイタイイタイという声もうめき声も聞こえず、状況を把握できない状態がどれだけ怖いことか…

僕が特に注目すべきだと思ったことは、山崎さんにはこの爆弾が「原子爆弾」という新しい爆弾だという情報が伝わらなかったことだ。

ろうあ者は手話でなければ情報を受容できないため情報に乏しい状態にあった。

「ろうあ者は長い間、原爆の実態を知ることからも閉ざされていたのです。」と山崎さんは述べる。

現在、長崎の平和記念式典には手話通訳士がついているが長年そのようなことはなされていなかったという。

ろうあ者が情報を受容し、発信していく。

長い運動が実を結んでろうあ者の人たちも参加できるようになったのはごくごく最近のことのようだ。

これらの話は手話を通して学んだ。

もちろん初心者なので訳が必要だが、ろうあ者の声は手話を用いて発されることが多い。

この手話サークルを見学して、自分が手話を学ぶことばかりに焦点を当てていたことに気付かされた。

でも、重要なことは手話を道具にろうあ者の声を聴くこと。

片言であれ手話ができる精神科医を目指す以上、ろうあ者の患者さんの声を聴くことに焦点をあてるべきだ。

改めて目標を認識することで手話に対する意識がまた一段と高まった。

障がいを持っている人や苦しんでいる人の声にもっと耳を澄まそう。

そう思わせられた1日だった。

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