〈障がい当事者の発信法〉
- kofujimoto
- 2017年11月4日
- 読了時間: 3分
長崎大学病院は全国でも先進的に児童精神医学に取り組んでいる。
精神科の先生方が福祉や教育も取り入れており、今回の講演会の主なテーマは学習や就労支援だった。
1人目の先生はTEACCH研修について報告した。
TEACCHはアメリカ ノースカロライナ州で行われている自閉症の人たちの生涯支援プログラムだ。
留学計画まで立てて見学に行こうとしていただけにとても興味がある施設で先生が1週間も見学をしたのが羨ましい。
TEACCHは常に進化し続けており新しい施設や指導法も増えているようだ。
ICTの活用を積極的に取り入れ始めていると聞いて驚いた。
見学に行けなかったTEACCHについて学ぶ重要な機会になってよかった。
2人目のプレゼンターは自閉スペクトラム症当事者の方だ。
長崎では有名な方でテレビや新聞に何度も出ていらっしゃる。
自分の経歴や得意なことや苦手なことを話してくださった。
自分の苦手な絵をあえて描いてみせ会場の人たちを和ませると共にわかりやすく伝えるところに惹かれた。
常に凸と凹を使い、凸凹のリフレーミング(異なる意味で捉え直すこと)をしていた。
会議は苦手だけど(凹)1人で物事を進めるのは得意(凸)、飲み会のワイワイには乗れないけど(凹)緊急時にも冷静(凸)
+と−はよく見るが凸凹で表すとなんだか温かい。
そして、当事者の山田さんが最も強調していたことは「私のものはあくまでも1例に過ぎない」ということだった。
何度も何度もこの言葉を繰り返す山田さんの気持ちがよくわかる。
自分が当事者であるのでわかるが発達障がいは人により全然違う。
本に載っている典型例に納得できるところもあれば全く違うことも多い。
「発達障がいはこういう人たちらしい」という固定観念は本当に怖いものなのだ。
いくら個性を強調しても世間は偏った認知をする。
芸能人の発達障がいのカミングアウトもその一因なのではないかと思う。
もちろん発達障がいをカミングアウトすることは大切なことであり、僕自身もしている。
ところが、その芸能人のカミングアウトの裏に、自分を目立たせたいから、人気に下火になったから、かわいそうだと思ってほしい、苦労を認めてほしい。
そのようなものが渦巻いているように思える。
それでは何が良いカミングアウトなのか。
僕は自分の苦しみに耐えきれないことや、他の人の助けになりたいという思いからカミングアウトすることは大切だと思う。
最近の例を挙げると、発達障がいの弟の誕生日だからという理由でカミングアウトすると同情を得て終わりになり発達障がいが遠いもののような感覚だけを残して関心は薄れる。
社会の流れであるため個人を攻撃する気はないが、正しく理解したカミングアウトかどうかは発達障がいに詳しい人には大体わかる。
・弟が発達障がいということを言って何を求めたのだろうか?
・広汎性発達障害という古い呼び方を使ったのはなぜだろうか?(現在は自閉スペクトラム症という呼び方に改訂されている)
・放課後等デイサービスがなぜ「放課護デイサービス」と書いてあるのか?(ただの打ち間違いであるならば揚げ足は取らないが)
不特定多数に対して発達障がいの正しい理解を広めるためカミングアウトするときは確固たる知識を持って発言しなければならない。
「この例は1例に過ぎない」。だからこそ発達障がいについて勉強しよう。
そういう思いがないと偏った自分の経験だけでテレビで話し、本やブログを書くことになる。
発達障がいに対する理解が薄い世の中で理解を広めるために先陣を切ってカミングアウトするときには強い覚悟と多大な知識を持っておく必要がある。
僕自身、世の中の10%は発達障がいがあって自分は声を発した「1例に過ぎない」という自覚を持って勉強していきたい。
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