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〈創設に遡及して考える余光会〉

  • kofujimoto
  • 2017年10月27日
  • 読了時間: 3分

3週間前に解剖体慰霊祭に参加した。 納骨式がメインで参加は任意だった。 近くのお寺に行き、医学部歯学部合わせて55名の献体さんをお経を読みながら弔った。 そのお寺は由緒あるお寺で1626年に開創されたという。 72年前の原爆で本堂は倒壊したものの、献体さん用の納骨堂は残ったのだそうだ。 原爆以前から行われていた献体さんの納骨を自分もさせていただいた。 献体さんの骨壺を納骨堂に納めることで、改めて献体さんが1人の人間であって親戚や自分と変わらないということを思わせられた。

昨日も解剖体慰霊祭に参加した。 これは医学科2年歯学部3年全員参加で、医学部キャンパスの敷地内で行われた。 献体さんはいらっしゃらないが、ご遺族の方が多いことと「余光会」の方々が多く参列していらっしゃった。 「余光会」というのは長崎大学に献体してくださる方の団体だ。 自分も大学に入って骨学実習をするまで知らなかった。 本物のお骨の入った箱を目の前にして、先生がホワイトボードに「余光会」と書いたのをよく覚えている。

献体をするためには日本篤志献体協会に所属するか、県の医科大学か歯科大学に登録しなければならない。 篤志(とくし)とは親切な志という意味だそうだ。 そして、長崎にあるのが「余光会」だ。 全国には白菊会という名前が多く他にもりんどう会やくすのき会、不老会、有終会など様々な名前がある。 余光会は長崎独自の名前だ。 余光会のホームページには史記甘茂の「子之燭幸有余子可分我余光」が語源となったと書いてある。 秦の武王に仕えていた甘茂は進言し武王はそれに従ったが、甘茂に反対した同僚の意見は通らなかったことで甘茂は恨まれ秦を逃げ出す。 その道中蘇代に会い、その時に使った言葉が「子之燭幸有余子可分我余光」なのだ。 ある貧しい女は灯火を買うことができませんが、豊かな女には灯火には幸いにも余りがある。 その余った光を貧しい女に分ければ豊かな女は明るさを損なわずに貧しい女が恩恵を受けることができる。 そういうたとえ話を使い、どうかあなたの「余光」で妻子を救ってくださいと頼んだ。

余光会初代会長諸熊武治先生は、亡くなった方の貴重な体を火葬して一握の灰にしてしまうのはもったいないということでこの活動を始めた。 献体さんからの「余光」を受けて僕らは解剖学の勉強ができている。 良い医師になってこの恩を世の中に返したい。 余光会代表で演説していただいた方のお話を聴いてそう思わせられた。 亡き旦那さんは「死んだとききちんとした体でないと解剖する学生に申し訳ない」とよく言っていたそうだ。 そこまで自分たちのことを思ってくれている人がいるのかという思いから余光会の方々から強く背中を押された。

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