〈8月9日、10日 平和教育の形骸化〉
- kofujimoto
- 2017年8月11日
- 読了時間: 4分
8月9日11時2分。
この時間をどう迎えようか。
今年は稲佐山から平和公園を望んで黙祷をした。
世界三大夜景で有名な美しい稲佐山から、醜い爆弾が投下された地を眺め、様々なことを思った。
72年前、警報が鳴る中、稲佐山のてっぺん朝早くから空を見ていた少年はボックスカーを目撃したことだろう。
空襲警報はしょっちゅう鳴っていたから慣れていたかもしれない。
しかし、ボックスカーが投下したファットマンには驚いたことだろう。
当時ピカドンと呼ばれたその爆弾は、鋭い光と大きな音が響いたことだろう。
その一瞬を見届けてその少年は今自分が立っているところで灰になったのだろう。
当時の本当の映像はここに立っていたであろう「彼」の目にしか見えない。
でも後世の人間は、その分知識がある。
少年が灰になったあと、浦上刑務所が吹き飛ばされて塵と化した。
そして長崎の最後の砦であった長崎医科大学を襲った。
ピカドンの爆風を受け896人の教官や学生などが犠牲になった。
「彼」は知らないだろうが、長崎大学医学部には追悼のモニュメントが立っている。
そこに亡くなった方の名前が連ねられている。
長崎市の医療機関は大きなダメージを受けた。
そんな中永井隆は己の知を活用して看病にあたり、本を書いた。
そのような多くの人の力で72年経った今復興していると「彼」は思いもよらないだろう。
8/10、平和公園を訪れた。
当日は人が多すぎて入れないが翌日だと空いているからだ。
昨日多くの人が原爆を思ってこの場にいたのだと考えると胸を打たれる。
ナガサキの悲劇、ヒロシマの悲劇を思って平和について考えたことだろう。
しかし、僕は平和教育に疑問を感じる。
ナガサキでは良い平和教育が行われているのだろうか?
ナガサキの平和教育は、8月9日に登校日があるし、授業の一環で原爆の映画を見たり、平和記念式典のライブ映像を見たり、原爆資料館へ見学に行ったりする。
原爆が落ちていない他のところとは一風変わった平和教育だろう。
だからこそナガサキでは平和について人々がたくさん考えていると思われがちだ。
ただ、僕はそうは思わない。
「原爆資料館に勉強しに行こうぜ!」
原爆資料館には図書室があり勉強のために使う学生も多い。
僕は違和感を感じて一度も勉強のために行ったことはない。
原爆の残酷さを考えるための特別な場であるはずの原爆資料館が、子どもにとってただの図書館のような扱いになっている。
8/9が登校日となっているのがめんどくさいと感じる子もいるようだ。
「平和の形骸化」がナガサキで起こっているのではないかと僕は考える。
(あと1分で72度目の11時2分だよ、黙祷しようね。ピカドンで7.4万人が死んだんだよ。被爆3世はこれを伝えていかなければならないんだよ。)
子どもたちは幼いときからこのようなことを言われてきている。
伝えたい大人が子どもに一方的に教えるものであるために、逆に原爆原爆うるさいことに飽き飽きする子もいる。
(72度目だからどうした、早く黙祷終わればいいのに。7.4万人とか言われてもピンとこないわ。いつもいつも3世3世ってめんどくさいんだよ。)
そう思っている子も一定数いることを知っておかなければならない。
ナガサキで、行われる平和教育には新しいやり方が必要なのではないと考える。
被爆2世ならば身の回りの人を亡くしたり、白血病に見舞われた親族もいるかもしれない。
ところが、3世であればそういう人は減ってくる。
県外から来た人ならば原爆には関心が薄いこともある。
70年経っている。
このことを重く受け止めなければならない。
自分が受けた教育をそのまましても、生徒に同じ熱意があるとは限らないのだ。
考え方も情報量も価値観も全然違う。
なのに、平和平和言うだけで平和を考えられるとは到底思えない。
「戦争を知らない世代」が平和を語られても理解するのは不可能に近い。
平和教育には革新が必要だと思ってやまない。
革新というとどんなものか。
具体的には平和教育に関して自由参加でいいという形にしたい。
(なんで平和なんてものを考える必要があるの?日本はずっと平和なんだから関係ないじゃん。そんなことよりサッカーしようぜ!)
そんなことを言っても怒られないような自由な平和教育が行われればナガサキも一段と深いナガサキになるのではないだろうか。
押し付けだけじゃない完全に自由な討論の場。
それが平和教育があるべき形ではないだろうか。
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