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〈ねこ蔵の魅力〉

  • kofujimoto
  • 2017年5月26日
  • 読了時間: 2分

昨日初めてで二日連続というのは実に奇妙だ…

昨日に引き続き今朝も轢かれた動物を見た。

昨日は道の真ん中、今日は路肩。

しかし、どちらも動かしてあげられなかった。

運転初心者だとどうしてもよけるだけで精一杯だ。

昨日の猫は今日はいなかった。

誰か心優しい人が道路から出してくれたのだろう。

人間により命を奪われた彼らのことを思うととても心が痛む。

しかし、他にも悲しい死を迎える動物はたくさんいる。

「『明日』が絶対こない子たちがまだまだたくさんいるんですよ」と涙を浮かべながら話してくださった井上さんの言葉が思い出される。

先週生き生きとしたねこちゃんたちと触れ合ってきた。

「ねこ蔵」という施設のねこちゃんたちだ。

「ねこ蔵」は猫カフェや猫のいる宿(看板猫などの意)とは違いねこちゃんたちとのふれあいは営利目的でない。

ここのねこちゃんたちと触れ合う際は部屋の掃除やねこちゃんたちのブラッシングをする必要がある。

そして、一番の違いは「人気のない子」たちばかりであるということ。

そう、ここは殺処分される猫たちに里親を探す、保護猫シェルター付きゲストハウスだ。

井上さんは、ボランティア活動として猫を保護して適切なもらい手に引き渡す活動をしていた。

しかし、このやり方では資金が安定しない。

資金の問題を解決すべく「ねこ蔵」がオープンした。

ドミトリーとカフェを併設しておりその収入が資金になるわけだ。

ここでの一泊があの子たちの治療費やご飯代になったのだと思うとうれしい。

殺処分待ちの彼らは「不要ねこ」という札をかけられる。

彼らの多くは元々飼い猫だった。

その飼い主が猫を捨てる、あるいは保健所に渡すことによりガス室への道を歩み始める。

猫が老いてしまったから、病気にかかったから、はたまた飽きたから、様々な理由で「不要」となる。

さて、「不要」ってなんだろう。

老いたら本当に不要なんだろうか?

病気にかかると人の役に立たないんだろうか?

飽きたから捨てるというのは人間の自分勝手ではないだろうか?

井上さんは子どもたちに猫の世話をさせて猫を死ぬまで飼うことの大切さを伝える活動をしている。

かわいいから買う、そんなぬいぐるみ感覚で動物を飼ってはならない。

当たり前のことだが、それを知らない人が多くいる。

ねこも人間もおんなじだ、みんな自分らしく生きていける世の中にしていきたい。

井上さんの活動に敬意を込めてこの文章を締める。

ねこ蔵:

http://twitfukuoka.com/?p=57702

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